前回動画でご紹介した「G型自動織機」の開発は、長男・喜一郎が手掛けたのだそう。

ちなみに、英国プラット社から受け取った特許料は、佐吉が亡くなって、世界恐慌による不況で士気が下がった社員たちに配ったのだそう。ええ会社や(T_T)

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父・佐吉の背中を見て育った喜一郎(1894年生)は、東京帝国大学工学部を卒業後、父を手伝うため豊田紡績に入社します。

欧米視察の際、自動車が走り回っているのを見てカルチャーショックを受けたのだそう。

ちょうど時代は1923年関東大震災の後で、鉄道は破壊され復興の足となったのは自動車。それに注目したフォード社とGM社が日本に進出して来ていました。

喜一郎は、豊田紡績の機械化に全力を注ぎながら、自動車事業の研究に着手していきます。

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まずはGM社製シボレーを分解することからスタート。

電気炉メーカーでさえ、電気炉鋳鉄を知らない時代だったそう。試練の連続が続きます。

エンジンブロックの鋳造では、シボレーのものを溶解して成分分析し、砂と油の配合を変えて、何度も試作を繰り返したのだそう。


ちなみに鋳造はこの実演が実にわかりやすかった。



クランクシャフトの鋳造はもっとも困難をきわめたらしく、鍛造のクランクシャフトを用いながら研究を続けたが、結局、1950年代に技術が導入されるまで時間がかかったそう。

鍛造の実演も目から鱗



機械フェチの方へ、これはトヨタ初の2500トン自動鍛造プレス(1964年)


「AA型」の試作車「A1型」。手叩き板金で作られてるので凹凸や継ぎ目なし。

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国の要請で開発したG1型トラック。愛知県に因んだものが二つあります、さてなんでしょう?

正面は能の般若を模してデザイン、マスコットはしゃちほこ。

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そして1937年トヨタ自動車工業を設立。「現地現物主義」「ジャストインタイム」を実践して生産台数を伸ばしていきます(自社で製鋼も手掛け、それがのちの「愛知製鋼」)。

600トンプレス機、めちゃくちゃデカい!

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近年の自動車組み立て。溶接の音が森にこだまする木こりの斧の音みたいで癒される(笑)



順調に見えたかのようなトヨタにも、今のコロナのような危機が何度もやってくるんですよ。

1945年占領軍の政策で自動車事業が危うくなります。

けれどへこたれません。

ミシンの製造を始めたり、合成甘味料、ドジョウの養殖、プレコン住宅など、いつでも方向転換できるよう衣食住にかかわる新規事業を研究していったそう。

関係ないけど、コロナでミシンがバカ売れ(マスク需要)、私の買ったミシンも値上がりしてました。しかしこのミシンかっこいいな。

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1949年ドッジライン(財政金融引き締め政策)でさらに経営危機に直面。労働争議が起こり、喜一郎は社長を辞任。

けれどすぐ朝鮮戦争が始まり、米国からのトラック受注で業績回復。社長復帰が決まったいた矢先に喜一郎急逝。

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この二人はすごい時代を駆け抜け、全身全霊でモノづくりに挑んだのですね。

数々の危機を乗り越えた底力もしっかり見せていただきました。

微力ですが、これまでもこの先もずっと変わらず、日本の企業に投資していこうと決めました。


トヨタ自動車75年史

トヨタ自動車の原点

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