前のブログで「四つ足肉はいらない」と言ったのは牛馬のことで(私は豚肉ももう食べないが)、庶民が食べ始めたのは明治以降と、つい最近のことだから。
その辺のことを詳しく知るため『被差別のグルメ』という本を手に取った。
それによると、江戸時代に牛肉を食べていたのは大名と、屠殺・解体をしていたエタだけだった。年間を通して牛の屠殺を計画的に行ってたのは近江(滋賀県)で、味噌漬けにして各地の大名に送っていたらしい。
他の地域では、牛馬は農耕に必要だったため、牛馬が死んだ時だけ路地(同和地区)の人たちが解体していた。
ちなみに東日本では農耕に馬を、西日本では牛を使っていたので、東京では今も牛肉文化は浸透していない。明治以降に飼育が奨励された豚肉文化だ。
昔は牛肉を食べるのは薬食いの時だけとされていた。
けれど幕末には密殺が増え、鹿や猪より安かった牛肉が出回るようになる。その頃から庶民の口にも入るようになったのだろう。
明治43年朝鮮併合により朝鮮労働者が日本に大量に入ってきて焼肉が生まれ、日本人も日常的に食べるまでになる。
このように、とにかく牛肉文化の歴史は浅い。ましてや今の牛は飼育環境も人為的。
この本には書いてないが、最近知って驚いたことがある。
皮革技術は渡来人が伝えたとされるが、なめし皮革や骨製品は武具や皇族の神事に重要だった。
その渡来人の血筋を守るため、差別反対のスローガンや道徳教育で、より差別を煽っていたのかもしれない。
その人たちの中には偽物がいて、偽物が厄介でややこしくしているが、本物にはその事を知らされずに伏せられてきた可能性がある。
続編はこちら→日本の肉食文化 その2「中世日本の肉食禁忌」

それによると、江戸時代に牛肉を食べていたのは大名と、屠殺・解体をしていたエタだけだった。年間を通して牛の屠殺を計画的に行ってたのは近江(滋賀県)で、味噌漬けにして各地の大名に送っていたらしい。
他の地域では、牛馬は農耕に必要だったため、牛馬が死んだ時だけ路地(同和地区)の人たちが解体していた。
ちなみに東日本では農耕に馬を、西日本では牛を使っていたので、東京では今も牛肉文化は浸透していない。明治以降に飼育が奨励された豚肉文化だ。
昔は牛肉を食べるのは薬食いの時だけとされていた。
けれど幕末には密殺が増え、鹿や猪より安かった牛肉が出回るようになる。その頃から庶民の口にも入るようになったのだろう。
明治43年朝鮮併合により朝鮮労働者が日本に大量に入ってきて焼肉が生まれ、日本人も日常的に食べるまでになる。
このように、とにかく牛肉文化の歴史は浅い。ましてや今の牛は飼育環境も人為的。
この本には書いてないが、最近知って驚いたことがある。
皮革技術は渡来人が伝えたとされるが、なめし皮革や骨製品は武具や皇族の神事に重要だった。
その渡来人の血筋を守るため、差別反対のスローガンや道徳教育で、より差別を煽っていたのかもしれない。
その人たちの中には偽物がいて、偽物が厄介でややこしくしているが、本物にはその事を知らされずに伏せられてきた可能性がある。
続編はこちら→日本の肉食文化 その2「中世日本の肉食禁忌」

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