前のブログを書いてから、さらに突っ込んで日本における肉食の歴史について調べてみた。
古代日本では、猪や鹿の肉が食され、皇室に献上したり神社に奉納もされていたようだ。
けれど675年に天武天皇が「牛馬犬猿鶏の宍(肉)を食することなかれ」という肉食禁止令を出して以降、江戸時代に至るまで1000年以上もの間、一般に肉食禁忌が浸透した。
それは一般的に知られている、仏教の教えに背くという理由からではなかった。
水田を対象としていた律令制(班田収授法)の徴税を強化するためだったそう。
それにしても、古代から中世の移行期(10〜12世紀)に、なぜ急に肉食に対し「穢れ」の観念が大きくなり、肉食と身分差別が結びついたのか。
貴族もかつては自分らで獲物を狩って食べていたらしいが、やがて捕獲・解体を侍たちにやらせ、そうした行為を蔑視していく。
その理由を、『肉食の社会史』中澤克昭著は、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提示したディスタンクシオン(卓越化)という概念を引用している。
支配階級は、正統とされた趣味があたかも生まれつき身についていたかのようにふるまい、自己の階級を際立たせ、階級構造を維持すること。階級の分化と階級構造の維持の基本原理。
古代から中世への移行期に激しく動揺した貴族たちが取った行動ではないかと考察している。
徳川幕府の頃には、その律令制を引き継ぎ、米を社会の基本単位とする石高制を確立していった。
続編はこちら→日本の肉食文化3「身分差別」

けれど675年に天武天皇が「牛馬犬猿鶏の宍(肉)を食することなかれ」という肉食禁止令を出して以降、江戸時代に至るまで1000年以上もの間、一般に肉食禁忌が浸透した。
それは一般的に知られている、仏教の教えに背くという理由からではなかった。
水田を対象としていた律令制(班田収授法)の徴税を強化するためだったそう。
それにしても、古代から中世の移行期(10〜12世紀)に、なぜ急に肉食に対し「穢れ」の観念が大きくなり、肉食と身分差別が結びついたのか。
貴族もかつては自分らで獲物を狩って食べていたらしいが、やがて捕獲・解体を侍たちにやらせ、そうした行為を蔑視していく。
その理由を、『肉食の社会史』中澤克昭著は、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提示したディスタンクシオン(卓越化)という概念を引用している。
支配階級は、正統とされた趣味があたかも生まれつき身についていたかのようにふるまい、自己の階級を際立たせ、階級構造を維持すること。階級の分化と階級構造の維持の基本原理。
古代から中世への移行期に激しく動揺した貴族たちが取った行動ではないかと考察している。
徳川幕府の頃には、その律令制を引き継ぎ、米を社会の基本単位とする石高制を確立していった。
続編はこちら→日本の肉食文化3「身分差別」

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