この世に偶然なんてない。必ず意味がある。
今現在、平日は大阪市内に住んでいるが、3年前から週末は富田林市の隣の河内長野市にある別宅に住んでいる。数年前、富田林の実家を処分したのに、またこの地に戻ってきた。

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私は5歳から23歳まで自然豊かな富田林市で育った。

両親とも曽祖父母よりもっと古くから代々徳島県の生まれで、自分としては、三代大阪に住もうが徳島の人間という自覚がある。

父方の祖父母は住吉大社と南大阪病院の中間あたりに住んでいた。

徳島県美馬郡つるぎ町の標高600mの秘境で育った野生児の母をもらい、父は苦労した(笑)それは置いといて。

両親は結婚し、中百舌鳥あたりに小さな戸建てを買い、私と弟はそこで生まれた。

父は子供がのびのび遊べる環境をと、ニッセイが造成した富田林市の某新興住宅地に新居を買い引っ越した。

父が富田林を選んだのは緑豊かなだけではない。戦時中の疎開先が、富田林の先の河内長野市三日市町だったので、この沿線に土地勘があったからだ。幼くして亡くなった兄弟も河内長野市延命寺に眠っている。

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新興住宅地だったので、古い地元民はいないし、おまけに団塊ジュニア世代。子供会は同級生だけで30人以上いて、ママ友たちも仲が良く、ものすごいコミュニティが出来上がっていた。

木登り、みかん狩り、山菜採り、キャンプ、お寺での宿泊……子供会はイベントだらけで、幼少期の思い出は、富田林の歴史と自然そのものだった。

前にも書いたが学校は、家から徒歩30分ぐらいの彼方小学校に通っていた。その前は錦織幼稚園。すごい名前。中学校のそばにはものすごい神社があった。

通っている子供たちはみんな変な苗字で読めなかった。

生方、興梠、間竹、安河内、篠山、春藤、上酔尾…

長いので次回につづく。

富田林市寺内町で(2023年8月)

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