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京から逃れた後醍醐天皇は吉野賀名生にも入った。
賀名生皇居跡
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この宿の敷地内にある。
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天皇の正統は南朝。落合氏いわく、今は西大寺におられると。正統に切り替わる合図としてABさん事件があの場所で起こされたのだそう。

後醍醐天皇が賀名生に滞在した理由は、真言密教に帰依していた為だとか。高野山金剛峯寺へ向かうつもりで、それが無理なら吉野山金峯山寺を計画。高野山と吉野山の中間地点に位置するのが賀名生。

賀名生の里民俗資料館
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賀名生の集落を抜け、さらに奥の山を目指す。


栃原岳(金峯山)
銀峯山(白銀山)
櫃ヶ岳(銅山)
を「吉野三山」とよび、いずれも鉱山。

そして白銀山の山頂(標高614m)にある神社が目的地。

ヘアピンカーブだらけの険しい山を登っていく。

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標高614mといえば、徳島の母の実家の標高と同じだから驚かない。

と思っていたら、頂上付近で大きなニホンカモシカの雄と遭遇!!

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黒毛で覆われた体といい、ツノといい、めちゃデカい!なのに動きは俊敏で、道路をサッと横切り山を上っていった。驚かせて申し訳なし。鹿の鳴き声を初めて聞いた。

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山頂の「波宝神社」に到着。
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最古の記録(858年)よりも前からあるらしい。

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明治まで境内に修験道の拠点「銀峯山神宮寺」があったらしくお寺の雰囲気を残す(神仏習合)。

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祭神は住吉大神と神功皇后と書いてあるが、本来は銀峯山を神体とする山岳信仰だった可能性が考えられる。
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役小角が来て修験者の行場となり、幕末には天誅組の本陣が置かれた。

宮司さんの話では空海が籠もっていた時期もあったそう。

本殿を修復しないといけないらしく、計3億円かかるそう。県と市が殆ど出してくれるけど、あと5千万弱足らないと。

文化庁調べでは9年間で668社の神社が減少しているらしい。

ネットでも募金を受け付けている。


神社めぐりはまだまだつづく…


































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