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足利尊氏が北朝を担いで南北朝の対立構造をつくった。

前回書き忘れたが、京から逃れた後醍醐天皇が賀名生に滞在した理由は、真言密教に帰依していたからだと。

高野山金剛峯寺へ向かうつもりで、それが無理なら吉野山金峯山寺を計画。高野山と吉野山の中間地点に位置するのが賀名生だったから。
吉野山頂上
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ロープウェイ吉野山駅から徒歩の参道沿いにある吉水神社。

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𠮷水神社は元を「吉水院」といい、1300年以上前に役行者が創建した僧坊。
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1336年、 後醍醐天皇は京から吉野へと移り57年間皇居とした。現存する南朝唯一の行宮(仮の御殿)。
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1348年に吉野山が焼き討ちにあい、跡を継いだ後村上天皇は、賀名生に行宮を定めた。足利尊氏は降伏し、一時賀名生が都になったそう。

後に秀吉が南朝を偲んでここを本陣とした。盛大な花見の宴。庭園も秀吉の設計とか。

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吉水院
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後醍醐天皇の南朝の皇居。
桃山式書院(帳台構)桃山時代。

障壁画は狩野永徳、屏風は狩野山雪。
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窓を開けると足がすくむ高さ
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源頼朝の追手から逃れた源義経も弁慶等と共にこの吉水院に隠れたそう。さらに追手から逃れるため山伏の姿に扮して山へ入るが、その際に身に着けていた武器や衣装を展示。
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役行者
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世界遺産登録。見学料600円。

神社めぐりまだまだつづく…










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